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東京家庭裁判所 昭和42年(家)4346号 審判 1967年8月30日

申立人 白井松子(仮名)

主文

申立人は、無籍につき、

本籍     東京都新宿区住吉町七四番地

筆頭者    白井松子

父母     不詳

父母との続柄 女

名      松子

出生年月日  昭和一六年八月二三日

として就籍することを許可する。

理由

申立人は、主文同旨(但し、出生年月日については、昭和一六年八月二六日)の審判を求めたので、審理を遂げたところ、次の諸事情を認定・窺知することが出来る。すなわち、(1)、申立人は、昭和一七年八月頃都内港区所在の「○○○○育児院」に保護され、次いで、昭和一八年四月二〇日都内大田区所在の「○○○寮」に収容せられ、昭和二四年三月二六日都内青梅市下成木○○○○三一三番地(当時、西多摩郡成木村○○○○○三一三番地)本多恭一方に「里子」として引取られた(因みに、これ等の際の手続上、申立人の出生年月日は、総て昭和一六年八月二三日とされている)こと、(2)、その後、都内の小・中学校を卒業し、都内「○○児童相談所」に収容されたが、その際(何人が如何なる経緯で外国人登録届出手続をしたのか不明なものの)、国籍・朝鮮(全羅南道)、氏名・白松子、出生年月日・一九四一年八月二六日なる外国人登録証明書を受けたこと、(3)、申立人は、前記本多方に引取られた以前のことについての記憶を欠き、なお、父母の正確な氏名等が全く明らかでないこと、(4)、申立人は、昭和三五年六月頃日本人である浜田実と事実上の婚姻をなし、一男一女を儲けたこと、(5)、申立人は、右浜田実との婚姻届に先立ち、日本に帰化しようと思つて、東京法務局にその手続をとつたところ、国籍証明の資料を求められ、駐日大韓民国大使館に赴き、戸籍謄本下付手続を依頼したが、該当者見当らずとの回答に接したこと。

叙上の事実が認められるが、これ等一連の間接事実に照らせば申立人が日本において出生したものと推認するに十分であり、且つ、父母何れも知れないというほかなく、しからば、申立人は、国籍法第二条第四号にいう「日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき」に該当する日本国民であるとなすべきものと判断する。従つて、日本国籍を有する申立人につき、国籍朝鮮としての外国人登録がなされているのは誤りであつて、なお、申立人が無籍者であること前説示の通りであるから、本申立は、これを認容するのを相当とする。

そこで、主文の通り審判する。

(家事審判官 角谷三千夫)

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